【『ハプスブルク王朝』誕生秘話】〜欧州を650年間支配した最強貴族〜

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自己啓発本マイスターのハナハナです。

皆さんは「ハプスブルク家」という存在をご存知ですか?

中世の時代に、欧州中心部を約650年間に渡って支配していた大貴族です。

最近たまたま手に取った本に、「ハプスブルク家」の事が書かれていて、そのスケールの大きさや人間模様が非常に面白く、たくさんの方に知って欲しいと思い記事にしてみました。

今回は、【『ハプスブルク王朝』誕生秘話】を、本:『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』を基に紹介します。

この記事は、こんな人にオススメ!

・ハプスブルク家って?

・欧州の歴史に興味がある

・ハプスブルク王朝成立について知りたい

本:『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』とは?

ハプスブルク王朝誕生から終焉までの約650年間を、12個の物語(名画)で解説している本です。

ハプスブルク家の人々は本当に個性的・破天荒で、読んでいて非常に面白いです。

紹介されている絵画の裏に隠されたモデルの思いや、リアルな生活を知ることができ、私は読み終わった後に美術館に行きたくなりました。

文体も非常に読みやすく、現代人にも分かりやすく書かれていますので、歴史に興味が無い方にも是非オススメの一冊です。

興味がある方は是非読んでみてくださいね。

『ハプスブルク王朝』誕生秘話

ハプスブルク家とは?

五つの宗教と十二の民族を何世紀もの長きにわたって束ね続け、神聖ローマ帝国皇帝の座をほぼ独占してきた

『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』より
ハナハナ
ハナハナ

ハプスブルク家って、すごく長い間ヨーロッパを支配していたんだね。

ハプスブルク家は、13〜20世紀初頭までの約650年間欧州中心部で強大な勢力を誇った大貴族です。

政略結婚により広大な領土を獲得し、最盛期には欧州の大部分を治めていました。

それと同時に、ドイツ全域を統べる神聖ローマ帝国の皇帝位を中世以来保持し続けました。

また、絵画や工芸品などのコレクションを築いてきたことでも知られており、その多くがウィーン美術史美術館に収蔵されています。

650年間もの長きに渡り、王朝を維持してきたのは他に例が無く、ハプスブルク家がいかに偉大な存在だったかがわかります。

次の章からは、ハプスブルク家がどのようにして神聖ローマ帝国を統治するまでになったのか、その経緯を物語を交えて紹介します。

田舎の弱小豪族から「神聖ローマ皇帝」へ!

十世紀末ころスイス北東部の片田舎にあらわれた弱小の豪族である。

『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』より
ルドルフ
ルドルフ

私が神聖ローマ帝国の皇帝である。

ハプスブルク伯ルドルフ(1218年 - 1291年)は、スイスの片田舎に現れた弱小豪族でした。

年齢も55歳と、当時の寿命からするとかなりの高齢で、とても大役を果たす人物とは思われていませんでした。

そんなルドルフに突如、神聖ローマ帝国皇帝になるチャンスが訪れたのでした。

神聖ローマ帝国とは、いつの日か古代ローマ帝国を再現しようと、ドイツ民族の理想国家建設を夢見て命名されました。

ドイツ国王が、自動的にローマ教皇から帝位を貰う慣習になっていましたが、13世期当時は全く国がまとまっておらず、力で国をまとめる有力者が居なかったため、有力諸侯7人(選帝候)による選挙で決められることになりました。

しかし、選帝候は一人が権力を握るのを望まなかったため、何かと理由をつけて選定を先送りし、なんと二十年間も帝位が空白のままになっていました。

ローマ教皇がたびたび催促していましたが、一向に決まらず「できる限り無能で扱いやすい男」、という基準で選んだのがハプスブルク伯ルドルフでした。

こうして、棚ぼた的に決まった神聖ローマ帝国皇帝の座ですが、この時ルドルフの胸の内に秘めた、野暮や底力に気付いていた者は誰もいませんでした。

強敵オットカル2世の登場

この有能なオットカルこそ、選帝侯たちが絶対に皇帝にさせたくない相手だった

『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』より
オットカル2世
オットカル2世

田舎者のルドルフに、神聖ローマ帝国の帝位は渡さない!

当時、勢力を伸ばしていたボヘミア王オットカル2世(1230年? - 1278年)が、ルドルフの戴冠に異議を唱え、ローマ教皇に異議を申し立てました。

選帝候たちにとっては、優秀なオットカル2世よりも、凡庸なルドルフの方が都合が良いため、彼の信仰心の高さを持ち出しルドルフを擁護しました。

オットカル2世と神聖ローマ皇帝ルドルフとの溝は次第に深まり、オットカル2世は神聖ローマ皇帝に堂々と反旗を翻し、両者は衝突することになりました。

当初の予想では、高齢で力のないルドルフに勝ち目は無いと思われていたが、ルドルフも死にもの狂いで戦い、しばらくは互角で推移していきました。

当時の戦い方は、正面から激突し力の強い方が勝つというものでした。

しかし、それでは勝てないと悟ったルドルフが、敵が油断している所に側面からの奇襲攻撃を行いました。

ふいを突かれたオットカル2世は戦死し、そこから敵は総崩れになり、見事ルドルフは戦前の予想を覆し勝利しました。

こうして、スイス北東部片田舎の弱小豪族だったハプスブルク家は、歴史上類を見ない650年という長期王朝をスタートさせました。

ルドルフの年齢や立場を考えると、ハプスブルク王朝成立は奇跡としか言いようがありません。

今でも歴史に刻まれているハプスブルク家の栄光には、こんな奇跡の物語があったとは驚きですよね。

おわりに

今回は、【『ハプスブルク王朝』誕生秘話】を、本:『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』を基に紹介しました。

私は、今まで歴史の本をほとんど読んだことがありませんでしたが、ハプスブルク家について調べたことで、「もっと知りたい」という気持ちが強くなりました。

ハプスブルク家の人々は、破天荒で自分のやりたいことをトコトンやっており、学ぶべきことも多いと感じました。

「賢者は歴史に学ぶ」という言葉もありますので、これからも更に歴史についての有益な情報を発信していければと思っています。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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