自己啓発本マイスターのハナハナです。
皆さんは、何で怒りの感情が生まれるのか、疑問に思ったことはありませんか?
怒りが生まれるのにも、理由があるのです。
今回は、【つい、怒ってしまう4つの理由】を、本:『怒らないこと-役立つ「初期仏教法話(1)』を基に紹介します。
目次
『怒らないこと-役立つ「初期仏教法話(1)』 とは?
「スリランカ上座仏教長老」の著者が、「仏教的な視点」から、「そもそも怒りとは?」から「怒りの収め方」まで、わかりやすく紹介している本です。
私はこの本を読んで、「怒り」について客観的に考えることができるようになり、「いつまでもイライラ」したり「瞬間的に怒ってしまう」ことが、ほとんど無くなりました。
とても内容の濃い本ですので、参考になった点を、何回かに分けて紹介させて頂きます。
「暗い感情」が強くなると「怒り」になる
「今日は退屈だ。退屈で、退屈で、嫌だ。」というときは怒りもあるのですが、それは大した怒りではないかもしれません。ところが、電気と同じくその怒りもどんどん圧力が高くなってしまうと、危ないのです。
『怒らないこと-役立つ「初期仏教法話(1)』
暗い気持ちの延長で、怒りが生まれるんだね。
感情には、「だんだん強くなる」という性質があります。「怒り」も同じで、「嫌だ」「不安だ」「つまらない」等の後ろ向きな感情が生まれると、時間とともに「だんだん強く」なり、最終的には「怒り」に変化します。
もし、後ろ向きな感情が生まれたら、自分が「楽しい」と思えることを、考えたり、やってみるようにしましょう。
「怒り」と「喜び」の感情は共存できないので、「喜び」の感情が生まれることで「怒り」の感情を消すことができます。
「自分が正しい」と思うから怒る
理由をひとつひとつ分析してみると、「自分の好き勝手にいろいろなことを判断して怒っている」というしくみがあります。
『怒らないこと-役立つ「初期仏教法話(1)』 』
色々な意見があるのは、いいことなんだね。
「自分の意見」は、自分の中だけで完結すれば良い話で、他人に押し付けるべきではありません。
「自分の意見が正しい! 相手の意見が間違っている!」と考えると、「相手を正そう」として、意見がぶつかり怒ってしまいます。
人間は、「自分の意見が正しい」と考えてしまいがちですが、実際には、「自分の意見が正しい」時も「相手の意見が正しい」時もあります。
他人と意見が分かれた時には、「どちらが正しいか」では無く「そういう意見もあるのか」と、自分の意見の参考にすれば良いのです。
くだらない妄想がふくらんで「怒り」を生む
我々の頭の中にこうしたくだらない妄想概念を作らないようにすることです。
『怒らないこと-役立つ「初期仏教法話(1)』 話』
妄想は、ほどほどにした方が良さそうだね(^^;;
些細な出来事から妄想を膨らませるのは辞めましょう。「怒り」を生む原因になります。
例えば、あなたが知り合いにすれ違った時に、こちらから挨拶するとします。
しかし、相手が挨拶に答えず、そのまま通り過ぎていったら、あなたは不安な気持ちになると思います。
「気づかなかった」「こちらの声が聞こえなかった」「私のことが嫌いでワザと無視した」等、色々なことを考えてしまい、次第には感情が「だんだん強く」なり「怒り」に変わる場合もあるでしょう。
こういうケースは、ほとんどが「単に気づいていなかっただけ」です。
「妄想」というのは、「良くも悪くも」制限無くどこまでも膨らんでいきますので、ほどほどで切り上げたほうが良いでしょう。
「エゴ」が怒りを生む
「私は男だ」「若いのだ」「老人だ」「私は課長だ」「社長だ」「部長だ」。よく考えてみれば、全部たいしたことではないでしょう?社長だからなんなのですか?
『怒らないこと-役立つ「初期仏教法話(1)』
人の価値は、肩書きなんかじゃ決まらないんだね。存在自体に意味があるんだ。
どんな地位があろうと関係ありません。その人の行動が「正しいか・正しくないか」で判断することが必要です。
よく、「私は社長だから」「私は年上だから」と中身が全く無いのに、「威張ったり」「怒ったり」している人がいますが、その人にどんな「肩書き」があろうと、その人自体の価値には一切関係ありません。
私たちも、その人の「肩書き」に騙されないで、その人がどのように考え、どのように行動をしたか見極めることが大切です。
おわりに
今回は、【つい、怒ってしまう4つの理由】をテーマに、本: 『怒らないこと-役立つ「初期仏教法話(1)』 の内容を紹介させて頂きました。
次回も、同じ本の内容を基に記事を書く予定ですので、よろしければご覧ください。
興味のある方は、本のほうも読んでみてください。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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